30代で心筋梗塞 ~その現象に名前をつけるとしたらトリプルハートブレイク~
ソレが心筋梗塞になりまして。
今から3年前の34才の冬、私は心筋梗塞になりました。
12月のある寒い日、職場で暖房の効いた部屋から屋外に出た時の事です。冷たい空気を吸いこんだ瞬間に、肺が『ヒュッ』っとなり、胸がしめつけられるような感じに……
10代の女の子が『胸をしめつけられる』と言えば恋が始まるトキメキキラキラなんでしょうけど
30代オッサンが『胸をしめつけられる』と言えば、病気になる冷や汗ダラダラしかないわけです
軽く息苦しい感じはなかなか治らず、家に帰って寝ようと思い上司に早退を願い出たところ『はよ帰れ』との、優しいのか冷たいのかよく解らないお言葉。甘えます。
帰る前に後輩Y沢(当時27才 女性)に声をかけました。
「ごめん、しんどいんで家帰って寝るね。あとよろしく」
「どっか悪いんですか?」
「何か胸がつまるような……ドキドキすんの。ときめいてる?これが恋なん?」
「いやぶたふぇさん、そのドキドキ動悸ですよ。オッチャンなんやし」
とまあ実際にこんな会話かわせたくらい余裕あったんですけどね、でもすぐ後輩が
「ん?ぶたふぇさん、顔色が土色……普通じゃない。すぐ病院いった方がいいですよ」
「大げさな。家帰って寝るよ」
「いや絶対あかんやつやって、それ」
「でも病院嫌いやし……」
「言うてる場合?じゃあ私を安心させる為やと思って、お願いやし病院行って?」
何、この哀願っぷり
こいつ……もしかして俺に好意をっ!?
ごめんね、非モテ族の同士諸君……俺、今日からモテ族にジョブチェンジするよっ!
後日、この日の事を後輩Y沢にきいてみました。
ー当時の様子を聞かせて下さい。
そうですねぇ、あの時は『あっこれはただ事ではない』と思いました。それぐらい顔が悪かった。
ー『顔が』?『顔色』ではなく?
え?あぁはい、失礼、顔色。
顔色、土色、ドロ人形。って感じでしたよ。
ーその後『お願い、病院行って』と潤んだ瞳でぶたふぇさんにすがりついたそうですが、ずばり聞きます。彼に好意を?
まず瞳は潤ませてないですね。私、ドライアイなんで。むしろ乾いてたんじゃないですか?
ーなるほど……彼の勘違いと?
ですね(笑)乾いてました。瞳も心も。
ーでは、好意というのも勘違い?
先輩に好意?ないですね(笑)ないです、ほんっとない。200%ないです。七回生まれ変わってもありえないです(笑)
ーでは、その時の心境を率直に聞かせて下さい。
あの時病院へ行けと言ったのは、今死なれると困るからです。人手が減って仕事が忙しくなるのはもちろん、先輩の葬儀をうちでやる事になった時、納棺するの大変でしょ?だって彼……重いし(笑)逝くならもっと痩せてからでないと。
ーなるほど。大変参考になりました。今日はほんとにありがとうございました。
ありがとうございました。
これ表現方法違うけど、実際言われてるからね?
ほんとの会話再現すると、心の傷のかさぶたがはがれちゃうから表現方法変えてるからね?
心と心臓両方に傷を抱えて、今日もぶたふぇは元気に生きてます。
まあそうやって生きてるのも後輩のおかげなんですが……
病院嫌いだから、言われなかったら絶対家に帰ってた。そうしてたら確実に死んでましたね。
命の恩人です。恩義もあってここ数年間、いいようにたかられても文句はいいませんよ?心の中だけでしか。
ああ言い忘れてた。非モテ族の同士諸君、ただいまだよ……
病院へ行こう。
後輩にそこまで言われるとさすがに不安になり、念のため病院行っとくか……と車で10分ほどの総合病院まで自分で運転していきました。
受付に行きへらへらと
「何かね、ちょっとおかしいんですよ。胸がつまるっていうか……しんどいです」
それを聞くなり受付のお姉さん
「今、車イス持ってきますっ!」と対応。
すげえ大げさっ!と思ってたんですけどね、車イスを見た瞬間、急に立っていられなくなり倒れこむように車イスに座りました。
病院の受付の人って顔みただけでわかるもんなんですね、さすがプロ。
すぐに処置室へ通されエコーをとられます。エコーを見た先生は言いました。
「ぶたふぇさん、心臓カテーテルしましよう」
心臓カテーテル検査とは、カテーテルと呼ばれる細長い管を、心臓に血液を供給している冠動脈の入り口まで通し冠動脈内に造影剤を流し込みX線撮影、心臓を栄養している血管(冠状動脈)の細くなったり、詰まったりしている部分を写し出す方法
心臓カテーテル検査中、モニターを見ながら先生の表情がどんどん険しくなっていくんですよ。そしてトドメ。
「ああ……これ……やばいな…………だめだ」
ダメって言った!?今絶対ダメって言ったっ!!
「え?先生、結構深刻なんですか?」
「はい、かなりです。ぶたふぇさんこれまずいですよ。心臓につながる4本の血管の内、3本詰まってます。そしてあと一本も詰まりかけ」
「残ったもう1本も詰まれば?」
「生きてる事が難しくなるでしょうね」
「死ぬ?」
「死ぬ。」
その後医師から『うちの設備では手術できないので車で一時間ほどある県内の循環器系病院か、ヘリで30分ほどの県外のさらに高度な医療をしている病院かどちらかを選んでほしい』という旨の事を言われました。
この時私が考えたのは
『来なくていいって言っても誰かしらはお見舞い来るだろうし、なるべく近い県内の病院がいいなぁ』
と県内の病院を希望します。
今思うと、お見舞いの心配とか的外れなんですけどね。ほんとお見舞いがお悔やみにならなくてよかったわぁ。うちの会社の売り上げに貢献できなくてごめんね、社長。あと給料あげて。有給下さい。
ただこの後の記憶が何か曖昧なんですよねえ……場面と時間がすごく飛ぶ。
いつの間にか、離れて住む母と兄夫婦と姪がいたんですけど、誰が連絡したんだろ?覚えてないんです。
兄が姪っ子に
「見納めかも知れないから、ちゃんとおじちゃんの顔見とこうねー」
と笑いながら言ったのは覚えてます。
「縁起悪っ、すぐ帰ってくるわ」
と笑いながら返したのも。
母は何も言わなかったですね。少し離れて立ってましたし。
すごく心配そうな泣きそうな顔してましたね……多分喋ると泣いてしまうから声をかけなかったんだと思います。
親不孝っすね、自分…………思い出すと今でも胸が痛い。
後日兄から聞いた話しなんすが、担当のお医者さんから
『向こうの病院に着くまでの命の保証はできない。3割の確率でもしもの事もあるという事は覚悟してください。』
と言われてたらしいです。
そんな事とは露知らず、この状況になっても自分が死ぬかもなんて事は想像もしなかったですけどね。
その後ストレッチャーに乗せられ救急車へと。
葬儀屋という仕事柄、故人様をストレッチャーに乗せる事はよくありますが、まさか自分が乗る側にまわるなんてね……
病院に入ったのが昼過ぎだったんですが、ストレッチャーで出た時はもう真っ暗でした。時間の感覚ほんっとなかったし現実感もなかったです。
「何か……大変な事になってんなぁ……」
なぜか他人事な夢心地なまま救急車は転院先の病院へと向かいます。
この時鮮明に覚えているのは、風が強くて顔にかかった雪の冷たさだけでした。
なぜかそこだけは、今でもはっきりと思い出せます。雪の質感までリアルに。不思議ですね。
思ったより長くなったんで、この続きは次回にでも。
~今日のなげき~
心筋梗塞、後輩への傷心、親不幸への罪悪感
私の胸、攻められすぎじゃない?
ぶたふぇでした。